働かなくても(?)まわる国々と、寝る間を惜しんで働かないとまわらない国:ニートの海外就職日記
マゾ側(社畜)の行動の非合理性という点については、巷で色々いわれる。でも、そういう「他人の労働を満喫できる」という《消費者の心理》の側での、「ケチ」と「愛」への執着にこそ、本当のポイントはあると思う。
日本の経済指標を見ると、生産性がグングン下がっているそうだ。いわゆる「内需モデルが目茶目茶」という社会モデル。まあ色々理由はつけられるんだろうけど、一番根本的な問題点は、日本人が「ケチ」だってことなんじゃないなあ、と最近よく思う。
ケチというのも色々あるが、この場合:
1:払った金額の 「元を取る」 ということにこだわる。
2:その帳尻あわせの計算に、「自分が得をした/幸福になった量」ではなくて、「相手の払った労力」を使う。
1は、まあ、合理的な経済人ということなのだろうが
・・・2の方が、正直言うと、僕にはよく理解できない部分だ。
でも、結構こういう 「交換の場で元を取りたい」 という計算に執着する人は、巷に多いような気がする。そして多くの場合、「利益が増えること」が好きなのであって、実際に何かがほしいわけではない。では、その利益をどう計算するか?といえば、他人の苦痛から逆算するのだ。
この「他人の苦労に対する欲求」、または「ケチ の要素」が、労働時間をひたすら増大させて、生産性をひたすら下げていく、秘訣なんじゃあないかと思うわけです。
たとえば、「出来が悪い」ということよりも、「手間をかけてない」という部分に、《怒りを感じる》みたいなお話。
たとえば、「役所のサービスが行き届いていない」ことよりも、「役人が定時に帰っている」という部分に、《怒りを感じる》みたいなお話。
たとえば、「絵が魅力的でない」ことよりも、「作成時に背景をトレスして描いている」という部分に、《怒りを感じる》みたいなお話。
他人の手間とか苦痛とかの「犠牲」を 「何よりの宝物」「自分の幸福」 として感知できる能力。
これ、実は社会生活で重要らしいのだ。
これが発展すると
「雨の日も風の日も、挨拶に通いつめた営業。
ある大雨の日、その熱意に意気を感じた社長はプロジェクトを発注する」
・・・みたいな、日本的美談フォーマットになる。
こういうの、営業の世界だと美談らしい。でも、あまり感覚的に賛同できない。
「その努力って、生産性の逆だから!」
・・・とか、横から見ていて、あやうく口に出してしまいそうだ。私はどうも「苦痛を美徳とする社会」では、うまく生きていけない。
僕の座右の銘は「みんなで幸せになろうよ」主義。
で、僕にとっては、幸せというのは、手間と苦痛が少ないことだ。「手間暇を惜しまない」というのは、絶えられない。暇は僕にとって一番重要なリソースだし、興味のないことにかかる手間は僕にとって刑罰だ。
全員ゆるい社会ができるなら、それがベストだと思っている。・・・なので、苦痛の共有を快楽として重宝する文化については、理不尽だなあとか、つい思ってしまう。
だがしかし、残念なことに
「社会のシステムは《お互いの苦痛を消費する》ということで成り立っているのでは?」
・・・という発想をすると、きれいに矛盾のないモデルが出来上がる。
ようするに「他人に無駄な努力をさせる」という行為によって、「自分の地位」を表現・確認することが、快楽につながるというモデルだ。
動物の脳というのは、「群れの中の相対地位」に敏感に反応するように出来上がっている・・・らしい。
たとえば、不良がパシリにうさぎ跳びでジュース買いに行かせる風景のような話だ。そこでの主眼は、自分と他人の間での「地位の確認」であって、ジュースはただの口実に過ぎない。体育会系社会は、そういう 「部下の苦労を消費する」 という儀式によって、一種独特の「愛情表現」をしている。
こういった「かけられた手間をこそ愛する心」ってのは、千利休の茶道っぽい。
「あなたのための私の苦痛」
「私のためのあなたの苦痛」
そういうものを《交換貨幣》にして社会はぐるぐる回っていく。
そうやって、他人を《消費》できるならば、きっと人と関わって生きていくことは、それはそれで楽しいゲームなんだろうなあ・・・とか思う。
だからこそ日本サラリーマンは、家族をほったらかしにして、仕事にのめりこむのかもしれない。
他人の人生を消費しつつ、他人に自分の人生を消費してもらうために。
だが、僕にとっては、その「相対主義」というのが、単に不合理な話にしか見えないことがある。
正直いうと、たいていの場合、上辺だけは同調するけど、あまり共感はできていない。・・・会社員としては、実に困ったことなのだが。
ジュースがほしいのならジュースが早く手に入るのがベストだし、わざわざ人間が買いに行かないですむのならそれに越したことはない。他人に買いに行かせることを幸福に感じるセンスがよくわからない。
ようするに、僕が「他人と自分との関係性」に興味がない・・・ということなのかもしれない。(なんという個人主義者。なんという自閉主義者。orz)
自分の欲求のために他人が手間かけて行動するというのは、正直申し訳なく感じるだけなのだよな。
こういう人間は、「人を使う」 というのが、下手だ。
部下の苦労を、心からの快楽を伴って消費できないからだ。
愛の反対は無関心であるという。
ならば無関心の反対は、愛だ。
もしも部下の苦労と苦痛を、よだれをたらして嬉々として《消費》できるのならば、少々歪んでこそいるかもしれないが、それは一種の《愛》である。
愛があるから社会が回る。
そんなわけで、日本人の労働過剰は「愛情欲求」が生む「服従欲求」の結果なのかもしれない。
私があなたの苦痛を要求するということ。
あなたが私の苦痛を要求するということ。
人によってはそれを愛という。
なぜ、日本の生産性が低いのか。
それは愛ゆえに。
本当に欲しいのは、金でも、利益でも、生産物でも、幸福でもなく。
「私のためのあなたの苦痛」だから。
・・・・・・・・・・・・・・・・あー。正直、どうもめんどくさい。重い。
いやあ、まずい国に生まれちゃったなあ・・・。
ちょうど、昨日見つけた“「日本人はいじわるがお好き?!」プロジェクト”という大阪大学の西條辰義教授が日米共同で行った実験の簡易レポートを思い出しました。
日本人は「スパイト行動」といわれる「自分が損をしてでも相手に損をさせる」という行動をとりやすいようです。ケチってそういうことかもと思いました。
http://www.iser.osaka-u.ac.jp/~saijo/pdffiles/keisemi06-01.pdf
Posted by: markovian at September 15, 2009 09:47 AM話の主旨から少し外れますが・・・
>「群れの中の相対地位」に敏感に反応するように出来上がっている
と言う空気嫁圧力が
>(なんという個人主義者。なんという自閉主義者。orz)
と言わしめている部分もある気がします。
自分が優位であると相手に思われたくない動機が発生していると言いますか・・・。
元を取らせる連帯が、日本の技術ガラパゴス化に大いに寄与しているのでしょうね。正直しんどいです。
「一緒に走ろうね」的な牽制も「お前だけいい思いしようとするなよ」という日本のケチ魂、もとい"愛"の表れなんでしょう・・・。
まずい国に生まれたというよりもまずい国になってしまったというべきかもしれません。
目的地に近づく時、最初の針路が正しければ、あとはがむしゃらに歩くだけですが、針路が間違っていれば、歩く前に正しい針路を探さねばなりません。
これは必要な足踏みです。
しかし――先人が予め正しい針路を示したおかげで――がむしゃらに歩くだけでたどり着けた人にはこの足踏みを怠けと考えます。
そして、そういう人たちが権力を握ってしまったのが問題だと思います。
日本だって、昔からここまで生産性が低かったわけではないので……。
かつて、司馬遼太郎が明治に憧れ、昭和(初期)を憎んだ過程を繰り返している気がします。
追記:ここでいう権力というのは、人口が多いために選挙に強く、視聴率目当てに迎合するテレビが都合のいい言説を生み出してくれ、挙句バブルとデフレの恩恵で金も持っているという意味です(今回は思い切って断言しました)。
その究極が農業なんでしょうね。農家がいかに苦しく貧しいかが重要で生産性や農協等のシステムの改善を掲げると悪者扱いされますし。
Posted by: ささき at September 15, 2009 07:55 PMいつも拝見してます。
全く同じことを思っていて、自分も書いていたので、すごく奇遇に感じました。
苦労は尊ぶべきことなのかもしれませんが、
それが足の引っぱり合いになっては元も子もないですね。高度経済成長のひずみが来ているのかなあなんて思います。
私自身も、そういうからみ合いには入らないと決めているので、
にっこり笑ってその場を退散/悪く思われても生産性を上げることにしています。
いつかはこちら側がマジョリティになることを信じつつ。
もうね、完全に同意。禿げ上がるほど同意。
だけどね、愚痴ってみても社会の何が変わるわけでもないことをグチグチ、グダグダと書くのはどうかと思うんだ。
誰かに分かって欲しいのは分かるんだけどね。
そう感じてるのは決して社会に三等兵氏一人ってわけじゃないよ。
けどね、結局とどのつまりは言っても詮無いことであって、気の置けない友人との酒の席で言うにしても
空気を重くするだけだから、皆そう思ってはいても口には出さずに黙ってるんだと思うよ。
またブログをはじめ、ネット上で書くにしても娯楽性の欠片もないものになってしまう話題なわけで…
つまり何が言いたいかというと、DMCで根岸の書いた
「分かって欲しいだけなんだ(×8くり返し)」
という歌詞を見せられたときの社長の気分だと。
絵描きさんにはありがちなんだけど、あまりしょうもないことで思い悩まんほうがいいですぜ?
自殺者は多いし、鬱病も多いし、
この国はある面で、よりもっとどん底まで落ちたら、
一人一人変わるかなぁ、なんて思う今日この頃です、
頑張っている人を応援したくなることそのものは否定できないですし「頑張っている自分」もモチベーションを得る有効な手段なのだけれど、あり方がずれているんですよね。
なんというかパラノへの憧れをこじらせる空気が存在していることが問題な気がします。
パラノ的な振りをするのは楽だし、それを否定するのは結構精神力を喰うのですよね。
パラノなんていいこと殆ど無いのですがねぇ。。。
それを何とかするのは例えば職場なら上司とか先輩の問題・・・結局はリテラシーの問題になっていくので、長期的にはなんとかなりそうな気もちょっとしてます。
(初期のシンケンジャーにこれに言及している回もありましたし。確実に広まっていきそうな気がします)
寧ろ問題は「みんなの幸せ」と「生産性」にぶつかる部分が多く、形を変えて他の問題になりそうなことにあるのかもしれません。。。
上の問題がなんとかなると色々殺伐としてきそうなんですよね。
自分が殺伐としているのはかまわないし邪険にされても平気だけど、他の人が殺伐としているのはなんか嫌です。
>「日本人はいじわるがお好き?!」
あのレポート面白いですよね。
スパイト行動って、ゲーム理論的に説明されるのがここ20年くらいの流行。だけど、ゲーム理論の流行ってのは「論文の書きやすさ=シミュレーションのしやすさ」に引っ張られているところがある。
この研究結果みたいに、個人的には共感原理の暴走状態なので必ずしも定量的には最適化されてないでと当然だと思うんですよ…。
>自分が優位であると相手に思われたくない動機
そだね。出てない振りをする杭の方が生きやすそう。
>「一緒に走ろうね」的な牽制
あるあるあwww。
友情に見えつつも、どうも恣意的な牽制のにおいがしたりしてね。
>かつて、司馬遼太郎が明治に憧れ、昭和(初期)を憎んだ過程
時代と世代は繰り返すのですよね。
>農家がいかに苦しく貧しいかが重要
確かに農業はやばい。マジやばい。
でもこれから日本人はこぞって「減反農家化」するかもしれないけどね。
>にっこり笑ってその場を退散
その笑顔が大事です。けんか売ってもしょうがないですし。
>娯楽性
いやあ、これがまた「娯楽性」あるらしいんですよ。
少なくとも、「数字データ」「多数決」の上では、孔鬼さんが喜ぶエントリよりも、このエントリの方が娯楽性があるという結果になっている。
いっそ孔鬼さんも「DMCの社長の気分」じゃなくて「DMCの社長の気分を見ている読者の気分」にシフトチェンジしてみないかい?メタレベルを一個上げれば、その苛立ちもまたネタになり得るんでね。
>よりもっとどん底まで落ちたら、一人一人変わるかなぁ
いやあ、僕は、今のままの日本も、それなりに面白いと思うけどね。
>他の人が殺伐としているのはなんか嫌です。
自分が殺伐としているのも、あんまり精神衛生上よろしくないけれど。
確かに、面白いですよね。ただ、苦しい事には変わりは無いんだけど・・・。
でも、苦しみの先に、希望が見えるのかも知れませんね。