私のようなシロウトに毛が生えた人間がマンガを描いていると、いつまでも上手くならない自分に頭を抱えてしまう事がよくありますな。なぜ読んでいるマンガの良し悪しはわかるのに、自分のマンガは良くならないのかと小一時間(略)。
そんなわけで、上手いマンガの研究に日々いそしむわけであります、現実逃避を兼ねて。 ※1 現在のマンガで「マエストロ級」に入る人間の筆頭に、浦沢直樹センセイがいるだろう。
(マエストロは人間の範囲外扱いなので、以下敬称略)
20世紀少年が映画化ということで騒がしいが、この前、「プルートゥ」最新刊を買ったはずみで一気に読み返してしまったので、今日はそちらを題材に、カメラワークについて思ったことなど。
浦沢直樹マンガには、幾つかの有名なルールがある。
例えば、漫符の中でも「冷や汗」のような記号は使わない。
どこかのインタビューか何かで、「現実にはそういう時、冷や汗たらしている人はいない」というごもっともな指摘をしていたと思う。
そういう点、リアル志向だ。浦沢直樹マンガでは、漫画的な誇張がめったに見られない。「劇画」という用語がどこまでのジャンルをカバーするのか分からないが、劇画よりも一層、「実写映像的なリアリティ」にこだわっている。
漫画らしい強調表現を避ける代わりに、シーンの繋ぎ方を重視したモンタージュ技法などが執拗なほどに多用される。その練りに練った執拗さが、浦沢直樹マンガを「マエストロ」の地位に押し上げているのだろう。
例えば「おんなじアングルでズームだけ」といったカメラワークを、有効に多用するのも有名だ。例えば、プルートゥ2巻から、アトムとゲジヒトの別れのシーン。
ほとんど1ページ辺り1つくらいのカメラアングルで、ズーム処理だけを行っている。下手な演出の仕方をしたら、退屈で動かない構図に見えてしまい、「マンガの書き方」見たいな教則本には怒られてしまうところだ。
だが、そこがマエストロ。
この映画的なカメラアングルの反復を、自然に思わせるための暗黙のルールというか、セオリーが、いくつかある。
例えば
A1:【約束】 「また来てください。約束ですよ」
G1:【同意】 「ああ、妻と二人で来るよ。その時にはトーキョを案内してくれ」
A2:【念押し】 「ウチにも遊びに来てください。父さんも母さんも妹も大歓迎です!」
G2:【了解】 「ああ」
A3:【念押し】 「約束ですよ」
G3:【了解】 「ああ、約束だ」
執拗ですよね。アトム、うざっ!
…いや、失礼。子供らしい、ハシャギぶりがよく現れております。
で、ポイント。
・1→2→3と進むにつれて、会話の情報量は減っています。
・1→2→3と進むにつれて、カメラはズームがかかります。
・その後、そこまでの緊張を打ち消すように、カメラは一気に遠ざかります。
この「情報量が減っていき、ズームがかかる」という一連の流れによって、読者の意識は「会話情報を聞く」モードから、「表情を読み取ろうとする」モードに切り替わってしまうわけですね。それに伴って 「論理的→感情的」 な軽い心理モードの切り替えが、読者の側に発生する。
これは普通の生活でもよくある人間心理。会話が途切れると相手を見てしまうとか、言語論理以外の方法で相手の様子を窺いだす、という性質を応用したもの。
そして、その執拗さを意識に感じさせないように、一気にカメラが引く。これで、さっきまでの心理誘導の痕跡を消す。
要するに、「語らぬが花」「沈黙は金」 ということですな。
多分、ナンパの上手い奴とかは、こういう非言語知識に強いんだろうなあ。。 ※2
*
この「情報を減らして意識を集中させる」という技法は、一般に応用範囲が広い。
例えば、カラヤンという有名な指揮者がいました。
この人、リズムを合わせなければならないシーンになればなるほど指揮棒を小さく動かすことで有名だった。普通だったら「リズムを合わせるにははっきり振る」という方法を取るわけです。ところが、逆に情報をなくしてしまうことで、棒の動きを見ようと、あるいは周囲の音を聞き取ろうとして、オーケストラの各員を集中することで、リズムを合わせたそうな。
マエストロの技とはいえ、この手法にも弱点はあります。
相変わらず本質を一発で切り捨てる西原理恵子サマが、「営業物語」とか「プルートゥ」の4巻あとがきとかで、ばっさりと書いています。
話が長い。
そりゃあもう、浦沢マンガは話が長くなる。MASTERキートンみたいな短編マンガをあんなに少ないページできれいに纏める才能を見せる一方で、20世紀少年みたいな長編マンガはドンドン長くなっていく。
この技法で人間を掘り出すためには、コマ数がドンドン増えていくからだ。
かつて、手塚治虫のマンガが「映画的」だといわれていた。 ※3
確かに、「新宝島」の初めのシーンだけは映画的だ。
でも、その新宝島は初めのシーンだけ話が全然進まない。映画的なカメラワークを止めて、芝居気味に喋りだすところからあっという間に話が進んでいく。
手塚治虫のマンガの原点が「宝塚」にあるといわれてますが、手塚マンガは「芝居」の方法論に満ち溢れている。一方で、浦澤直樹マンガは、同一アングルのカットバックやモンタージュなど「映画方法論」でキッチリ固められている。
ロングのカメラに語る芝居の手法、ズームのカメラで語らない映画の手法。
その差は、マンガの長さとなって現れる。
これはもう、技法的にどうしようもないのかもしれない。
そして、幸か不幸か、この映画方法論で現代のマンガは完成に近いほど最適化されている。
その結果、現在、不幸なことにマンガが「一番遅いメディア」となっている。
小説のように一気に書き上げることも出来ない。
アニメや映画のように、マンパワーで加速することも出来ない。
すくなくとも読者にとっては、一番時間的な忍耐を強いられるメディアの一つだ。
その点については、たけくまメモで、「週刊マンガ=3ヶ月1クール論」とか出ていましたね。やはりメディア商業主義を考え詰めるとハリウッド的な方法論に行き着くのかなあ。
参考:たけくまメモ:マンガ界崩壊を止めるためには(6)
確かに「アドルフに告ぐ」とか「バジリスク」とか見ると、確かに五巻完結というのは読者にとって魅力的だなあ、と思う。でも、多層構造のドラマを持った話を5巻完結するには、手塚治虫の速度=《芝居ルール》が要る。
手塚治虫のリズムに戻そうと思ったら、技法を映画から芝居に戻さなきゃダメなんだろうなあ、と思う。でも、それを切り替えるには、現在のマンガの書式は完成しすぎている。多分、これを戻すと、一般読者から不満が出る可能性高いんだろうしなあ…。
むつかしいもんですね。
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※1 自分の技量不足を棚に上げて偉そうなコトをいうのも、評論のお約束と思いますので、何卒ご勘弁のほど。 [もどる]
※2 つまり今回は、マンガに台詞を詰め込みすぎる自分の反省文であります。[もどる]
※3 この神話の誤謬については、テヅカイズデッドとか的確な反論が多いですけど。[もどる]
追記:浦澤→浦沢の間違いを指摘していただき、修正しました。orz
>例えば、漫符の中でも「冷や汗」のような記号は使わない。
昔の作品では、多用していましたよ。
特にマスターキートンなんか。
考え方が変わったって事ですかね。
> 短編マンガをあんなに少ないページできれいに纏める
ための考え方というか作り方でしょう。
私は今より昔の方が好きですね。なのでこういった議論を見ると、この冗長さが苦手なのかなと思う次第です。
気付くと少年ジャンプを読んでいる自分がいます。単行本では買いませんが毎週読むにはあれが一番かなと。
Posted by: M at August 17, 2008 09:10 AM冷や汗も劇画志向の作家でも軒並み使ってます
から、つばを飲み込むとか目を見開きたじろぐとか
代用表現を無理に利かすのもどうかなと思いますね。
わたしもどちらかというと昔の方が好きな感じです。
ページ全体の濃淡バランスや、登場人物への共感の点で。
ストーリーへの解釈の多様性に比べ、演出される
キャラの表情への解釈は手狭になってるような気もしますし。
あなたがマエストロと呼ぶ技法を使い出してから、私は浦沢漫画が嫌いになった。
私は漫画らしい漫画的手法を使う浦沢漫画の方が好きである。
うーん、やはり昔の浦澤タッチ好きって多いですねえ。NASAとかの大友タッチっぽい初期短編とかか。
完成度の高さって、上がれば上がるで、何か物足りなくなるもんなんだよねえ・・・