昨晩のコラム「祭りと祟りと、生き残り戦略」に追加補足。
今日昼寝から起きて「はてブ」見たら
18歳未満「に見えたら」児童ポルノ認定
とか在りましたけど、これなんかは、まさに「祟りルール戦略」のパターンだよなーと思う。
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カウボーイが道の上に線を引いて
「この線を越えたら、容赦なく撃つぜ」
・・・と言うセリフを、
「この線を越えようとしてるような気がするな〜〜〜、
・・・と誰かがつぶやいたら、容赦なく撃つぜ」
と言い換えるようなものでして。
言われる方は、 「えええええ?」 って感じですな。
明確な境界線がないから、下手したらクシャミするだけで撃たれるかもしれん。
「ビクビクして暮らす」 ことになる。
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もちろん、その 「ビクビク」 こそが、望んでいる効果であるわけです。
ちゃんと線を引いてしまうと、線の傍までの空間を自由に動いて
「まだ線は越えていないよ」 「上の空間だからセーフ」
とかいう、ガキの口げんかみたいな話になりがち。
・・・まあ、その気持ちこそが「自由」なんですけどね。
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祟りルールがプレイヤに対して望んでいるのは
「みんなが≪秩序≫に気を使って、意識し続ける」
という強い服従の構造であって、それは即ち
「強い奴も、ちゃんと、≪みんな≫ の存在にビクビクすること」
という、「公>私」 という見えない権力関係を維持すること。
(この「ちゃんと」ってのがミソなんですが。)
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審判がボールと言ったら、ホームベースの上でもボール。
プレイヤはその意見を守ることが「秩序」である、と。
要は空気読めと。
そりゃあまあ、プレイヤはなんとなく礼儀正しくなるだろう。
そりゃあまあ、プレイ自体は上手くならなさそうだ。
「礼儀の心を育てるため」 ならその方がいい。 空気読むのが上手くなる。
「プレイが上手くなるため」 なら害悪だ。 空気読むだけで手一杯になる。
強い秩序の存在は「安心」をもたらし、「変化」を奪う。※
それが好きか嫌いか、
問題は最後には結構そういう「趣味」の話になる。
(趣味の問題だからこそ、0/1で一般論するのは危険なんですけどね)
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参考:白と黒の争い
「黒の側」からの意見なので非常に一方的ではありますが、このモデル化とかもまあ真実の一面を表していると言う気もしてみたり。
※ nomiさんから、コメントでツッコミがあり、私も考えてみた結果、
「発展」→「変化」 に表現を変えてみました。その文意はコメント欄をご参照ください。
官による秩序の強制と言うのは独裁と変わりないわけで、それを排すのに異論はないのですが、秩序が発展を妨げると言うのはどうにも納得できかねます。
法で規定しない(しきれない)社会通念上のルールと言うのは、本来道徳と言う形で心の内側から縛っておくように教育することで、秩序が保たれるものだ思います。
内なる自分に恥じるような行いを悪としてきた恥の文化と言うのは日本の美徳であり、そこから生まれた誠実で手を抜かない品質の高さが高度成長を支えてきたのだと思っています。
が、そう言う公共道徳をある意味否定してきたのが戦後教育というわけで、現在のモラルの乱れはその成果。
つまり公を否定したら民が乱れて結局官が踏み込む結果を招くと言うのは皮肉と言うしかありません。
教育についてはようやく方向転換するようですが、結果が現れるまで後何十年だしそれ以前に実効性には疑問符がつくしで。
nomiさん、ご意見感謝。
>秩序が発展を妨げると言うのはどうにも納得できかねます。
発展という言い方が良くなかったかもしれません。
「『強い秩序』が『変化』を妨げる」という言い方でしたら、ご理解いただけますでしょうか。ここで使った発展は変化のサブセットの意味です。
道徳の効用については、賛同です。
ただし「恥」という道徳スタイルは「人様の目」という観点を含んでいるため、最悪の場合「他人に見えなければOK」という発想につながりかねません。
それを補うように「道」「天」という他人の目を必要としない概念があったわけですが、それは「他人=公」とは若干違う領域に位置します。どちらかといえば私は、こっちの衰退を危惧します。
要は「他人に恥じる」と「自らに恥じる」との差。個々人が後者に至るならば、よりベターなのだけれど、・・・というのが、私の考え方です。
そう考えると宗教というシステムは色んな意味でバランスがとれていたように思えますね。
科学(論理)社会あるいは情報社会の台頭によって、その意味が弱まってしまった存在ですが、やはり人間を真に救いえる、機能させえるのは、神という絶対概念にしかできないのだろうかと漠然と考えてしまいます。
それも新しい形での、例えていうなら、論理的矛盾のない宗教システム社会のような感じのものとか?
うーん…。
なんだか手塚治の火の鳥のような世界観になってしまいました(苦笑)
確か火の鳥では、民は過去の人類の栄光にすがる腑抜けになり、人間を統治する神であるコンピューターは、狂って自爆してしまい、人類もほとんどが滅びましたが…。
なんだか安易にノリで適当なことを書いてしまいました。
いずれにせよ、資本主義が色んな意味でたちゆかなくなってきた現代がどう変貌していくのか、楽しみでもありまた当事者として恐ろしくもありますね